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アール・ヌーヴォーのガラス | 九州国立博物館

九州国立博物館にて開催中の特別展『アール・ヌーヴォーのガラス–ガレとドームの自然賛歌』に行ってきた。

 

 

展示品は、長野県諏訪市にある北澤美術館の収蔵コレクションの一部である。

 

昨年集中的に読んでいた竹山道雄に触発されて、私も本を読むばかりではなく、良い物を直に見聞きすること、直にぶつかることにもしっかりと時間とお金を使っていきたいと思い直したので、最近は美術館や博物館に足を運ぶようにしている。

 

とはいえ芸術論や美術論、正しい鑑賞方法などについては全くわからないので、私が観て心に浮かんだ感想を書き記す。

 

最も印象に残ったのはエミール・ガレの闘争心である。心から流れ出ざるを得ない、表現せざるを得ない気持ちや精神が感じられた。

 

 

ガレの作品は人を選ぶと思う。

 

 

グロテスクである。自然の美しさや柔和さだけでなく、不気味さや気持ち悪さもすべてむき出しになっている。自然の暴力的な側面(私はこれこそ自然の本質ではないかと思っている)がいきいきと、まざまざと描かれていると思う。

 

 

ガレの作り出す植物や動物、海を前に私はただただ恐怖を感じるのみであった。飲み込まれてしまいそうな恐ろしさやほの暗さがあった。

 

ここで言う自然とは、のどかな、緑豊かな木々や川のせせらぎ、心地よい雨の降る音や波の音にイメージされる自然ではない。私は趣味で登山をするようになって初めて身をもって知ったのだが、自然とは本来人間の意思とは何にも関係のないところにあって、人知を越えた恐るべきものなのである。人間とは断絶とも言うべき距離があり、自然と人間は完全に主従関係にある。

 

蚊やノミや犬といった生き物は感染症を媒介するし、雨や雪も適度であれば風情あるものだが、台風や豪雨や地震として立ち表れてくる時もある。そうした時に思い出すのだが、人間は自然に包まれており、完全に自然に左右されるのである。

 

ガレの鋭い目はそうした自然の暴力的な側面もしっかりととらえていると私は思った。

惜しむらくはエミール・ガレが一代で終わってしまったことだろう。妻らが工房を引き継いだが、エミールのような作品を生み出すことはできず、第二次世界大戦前に事業を畳んでしまったそうだ。

 

今回展示されたガレの作品の中に『ひとよ茸ランプ』が来ていなくて大変残念だった。現在開催中の北澤美術館の特別展にて展示されているそうなので、機会があれば立ち寄ってみたいものだ。

 

今回の展示品の中では、ガレやドーム兄弟の作品ではないが、『草花文把手付小瓶』(19世紀、オーストリア東京国立博物館蔵)が印象に残った。素朴でかわいらしい。

 

 

展示のもう一方の目玉であるドーム社の作品は、非常に精巧でよく出来ているなとは思われたが、エミール・ガレインパクトある作品を見た後だとあまり印象に残るものはなかった。

 

デザイン的には非常に洗練されているが、正統派のおぼっちゃんという感じだった。万人受けしそうな落ち着いたものが多く、幅広い愛好者を獲得するだけの懐の広さは感じた。

 

 

ドーム社に関しては経営手腕に関心した。売り方が消費者心理をしっかりとわかっていて上手い。最後の方に展示されていた小さなかわいらしいミニチュア作品は確かに欲しくなるし、集めたくなる。

 

 

ガレとドームを簡単に対比するならば、非常に頭の切れが良く、ビジネスというゲームをしているのがドーム兄弟で、ガレはそれとは全く別のことに没頭しているように思った。

 

ガレはガラスを通じて世界の秘密を見ていたのではないかだろうか。ガレはこの世界の核や本質のようなもの、言い換えれば「そこに確かに存在している」自然や世界を「あるがままに」見ようとした人だから、普通の人間には感知できず、作品を見ると何となく不安に思ったり、不気味に感じたりしてしまうものが込められているのではないだろうか。

 

ドームは普通の人間が感知できる性質のものを作品で表現しようとしたから、見ていて抵抗なくすーっと受け入れられる。人間の手の温もりや手垢、匂いが付いており、人間というフィルターを通じて自然や世界に触れるという感じがする。

 

ガレの場合は自然や世界に直接飛び込む感じなので、そのままでは思わず目を背けたり、恐怖を抱いたりしてしまうような厳しい自然が掴み取られていて、人間の気配はほとんど感じられない。3.11の震災における津波の映像を見ているような、不安で言葉を失ってしまう自然の正体が表現されている。

 

あくまで人間業であるドーム兄弟と、人間の領域を踏み越えようとしたガレ。それぐらいガレとドームは違うと思う。優劣ではない。好みの問題である。

 

持続可能性、永続性という点ではシステム化や分業に成功したドームが優れている。商業的にはドームが正解で王道だが、生前はそれを一人でやっていたエミール・ガレの凄さが逆に際立つ。

 

ガレとドームの作品だけだと思っていたら、入場して一番初めに展示されていたのは紀元前から近代にかけて世界各地で制作されたガラス作品であった。特に古代から中世にかけての作品群はメインの展示に負けない素晴らしい逸品ばかりで、興味深く眺めていた。

 

 

私は昔からペルシャ絨毯みたいな幾何学的な模様やデザインに強く惹かれるのだが、今回展示されていたイスラーム世界で作られたガラスもやはり心惹かれた。

 

ガレ以前のガラス作品のデザインや技術には正直かなり驚かされたのだが、それというのも、「新しいものが良いもの」「古いものは遅れている」「劣っている」という固定観念が私の中にあるからだろう。普段読んでいる本などは「古いものこそ良いものだ!」くらい思っているのに、歪んだ鑑賞態度が浮き彫りになって、心から反省した。

 

ガラス作品に関しては、ステンドグラスを見れば容易に想像が付くが、光との相性が非常に良いことに気付かされた。展示品の土台や台座に映るリフレクションにも注意して眺めてみると、ガラス作品を存分に味わうことができるのだろう。

 

博物館のように、作品にライトが当てられた状態で鑑賞するのも良いが、その作品が作成された当時のように実生活でリビングやダイニングに置かれていて、太陽の光やろうそくの炎に照らされる中でどのように見えるのかもとても気になった。

 

次の特別展は『憧れの東洋陶磁–大阪市立東洋陶磁美術館の至宝』とのこと。こちらも楽しみである。