考へるヒント

生活の中で得た着想や感想

本多静六『人生と財産 ― 私の財産告白 ― 』(日本経営合理化協会出版局、2000年)

 

折に触れて読み返しているバイブルの一つ。適切なタイミングで適切な忠告をくれる本で、凡才が非凡に至るための本である。心構えと実践のバランスがとにかく素晴らしく、書いてあることは全て本多静六が実行してきたことなので説得力が違う。

 

凡才に対して本当に真摯に向き合って忠告をくれるので、「自分もやれるかもしれない」とその気にさせてくれて、本当に励まされる一冊である。

 

「日々の小さな成果、それは一年と積まれ、五年、十年と積み重ねられて、やがては自分の最善の知能と努力を、完全な計画遂行に導いていく。偉人傑士の大業にしても、多くは日々、一歩一歩の努力の集積の上に打ち立てられたもの」(『人生設計の秘訣』)

 

10代は学業、20代は仕事に全てを捧げてきた。その道は間違っていたとは思わないが、常に全力で走り続けるのは不可能であり、いつか爆発する時限爆弾を抱えながら走るような不安に満ちた、自棄的な道のりだった。ものすごい閉塞感があった。しかし、それがわかっていながら他にどうしようもなかったのだ。

 

図らずもコロナ禍とぴったり重なってしまったのだが、色々と思うことがあったので、この3年ほどはそれまでの人生とは全く違うリズムやスタイルで生活をしてみた。個人的にはかなりの挑戦であり、ハイリスクの賭けであった。

 

良いことも悪いことも本当に色んなことが起きて、波乱万丈の3年となった。かなり痛い目に遭ったり、取り返しのつかない大失敗が多くあった。と同時にそれまでの人生の信念や通念を覆すような、目が開かれる発見もあった。私は一度死に、全く新しい人生が始まったような感覚にさえなっている。

 

目的達成のためなら自分の身も犠牲にするくらい、極端に思い詰めた生き急いだ生き方をしていた。自傷的な人生と言えるだろう。「こんな価値のない自分の身など気にしても仕方がない」と諦めていた。「もっとわがままに、自己主張して良いんだな」とわかったのが一番大きく、「もっと自分を大切にしよう」と思えたのは私にとっては革命的であった。

 

この3年間の全てを今後の人生の糧とするために、このあたりで一度見直しておこうと思い、再読した。決算・棚卸しである。

 

黒木登志夫『iPS細胞 ― 不可能を可能にした細胞』(中公新書、2015年)

 

黒木登志夫は、東京大学および岐阜大学の名誉教授で、がん細胞の研究が専門。岐阜大学では学長、そして日本癌学会の会長も務めるなど、日本の医学会のドンの一人と言って良い人物と思われる。本職のがん以外にも医学や研究に関する一般向けの本をいくつか執筆しており、啓蒙活動にも意欲的な人物。

 

本書は一般人に医学の最先端の実情を見せてくれるものすごく良い本ではないだろうか。2015年刊行なので、進歩著しいこの分野では内容が古くなってしまっている箇所も多いだろうが、多くの原著論文を参照し、また山中伸弥先生を始めとして国内の多くの研究者にインタビューも行って書かれた意欲作である。

 

iPS細胞ができるまでの医学のあゆみ、iPS細胞の現在地、これからの可能性などiPS細胞にまつわる全てが一冊にまとまっていて大変素晴らしい。テレビのニュースや新聞記事などで何となく「良い感じの万能細胞があるんやなー」と見知っていた程度だったが、詳細がよくわかった。

 

山中伸弥先生の伝記的な章もあるのだが、ゴリゴリの研究者から見た山中先生、同じ医学研究者という身内から見た山中先生が書いてあって、それも面白かった。

 

iPS細胞の科学的な側面については、高校の生物で止まっている私のわずかな知識では到底歯が立たなかった。ただ1点印象に残っているのは、ヒトのiPS細胞ができたということは、ヒトの体外、シャーレの中で病気の再現が可能になるということであり、ヒトの身体に対してさまざまな実験や観察が行えるようになる点が特に印象的だった。

 

発症のメカニズムがわかれば治療や予防への道が開けるので、このような豊かな可能性を持った細胞が日本で開発されたのは本当に喜ばしいことであり、勝手に誇らしい気持ちになった。

 

黒木はiPS細胞の現在地と可能性について冷静に分析しており、大変勉強になった。iPS細胞で真っ先にイメージされる再生医療の分野では、海外のES細胞が大きく先行しており、間葉系幹細胞という別の細胞も研究が始まっていて、iPS細胞は発展途上ということであった。

 

またiPS細胞は再生医療だけでなく、病気のメカニズム解析、予防、薬の開発、副作用の分析など医学のあらゆる面で応用が可能とのことなので、その射程の広さにも改めて驚かされた。

 

医学の実態も垣間見ることができた。ネズミ→ヒト、基礎研究→応用研究、安全性、有効性のテストを経てようやく臨床の場にたどりつくのが正規のルートらしく、私たちが利用できるまでには膨大な時間と労力がかかるのだ。しばしば基礎研究における新発見のニュースなどを見て気持ちが喜んでしまうのだが、それはあまりにも時期尚早ということがよくわかった。

 

最後に一つ。医学を始めとした自然科学の世界はまさに役に立つ研究がたくさん並んでいるのだが、人文・社会科学系は個々の人間や社会に一体どのような成果をもたらすことができるのだろうか。「役に立つか否か」という功利的な視点だけではいけないが、無批判でふんぞり返るのもよろしくないので、厳しい自己点検が必要ではないかと思われた。

 

坂井建雄『人体観の歴史』(岩波書店、2008年)

 


めちゃくちゃ面白い。今年読んだ本の中ではプラトンの各著作に並んでぶっち切りで良い本だった。

 

人類がその時々で人体という対象をどのように見ていたか、客観的に見ていたかについて考察した本である。一読して印象深かったのは、解剖学の長い停滞であった。身体を解剖しても、何がどうなっているか、位置関係やはたらきを解明するのは容易ではない。生きた人間の解剖はリスクが大きすぎるため、死体を扱うしかないのも大きな制約である。先人たちの気の遠くなるような忍耐と執念の蓄積、重みを感じることができた。

 

その他に印象的だったのは、やはり坂井が挙げていたキーパーソン、2世紀のガレノスと16世紀のヴェサリウスの二人である。死体の入手が難しく、手に入っても防腐処理も困難だったため、動物の解剖がメインとなってしまったガレノスは、多くの誤りを後世に伝えてしまったものの、自ら解剖を行い、記録や考察を残した点は素晴らしい。

 

ヴェサリウスについては、ガレノスの解剖学(動物メイン)を継承しつつ、自身の解剖(人体)の所見を加えて、1000年以上停滞していた人体の研究が飛躍する原動力になった点が素晴らしいと思う。それまでは、既知の解剖学的事実を確認するために解剖するという伝統だった。

 

しかし、権威の著作に何が書かれているかよりも、解剖を通して人体の中に何が見出だせるかが関心を集めるようになった。人体を自らの手で解剖し、自らの眼で観察するという実証主義が広まったのである。ヴェサリウス以後の解剖学は、より正確な人体の知識を求めて、細胞の発見→分子の発見と、どんどんミクロの世界に入り込んでいく。

 

解剖学、ひいては人体を見る眼や意識の変遷には、印刷技術の発明と発達も見逃せない。パピルスしかなかった時代は、本は巻き物の形式で、口述のメモのような役割だった。その後より丈夫で長持ちする羊皮紙が使われるようになってからは、本は巻き物から冊子体に変わり、だれでも参照できる情報の貯蔵庫として機能するようになった。

 

15世紀にグーテンベルクが発明した印刷技術によって、羊皮紙に手書きされていた写本が印刷本に変わり、同じ本が簡単に複数部作れるようになり、本は情報伝達の道具として活躍するようになった。加えて、木版や銅版による版画技術の開発により、解剖図入りの解剖書の製作・出版が可能になった。

 

新しい印刷技術と版画技術を駆使して出来上がった解剖図入りの解剖書であるヴェサリウスの『ファブリカ』『エピトメー』は、多くの学者や医師、学生らに読まれ、解剖学や人体の研究は一気に最先端の学問に躍り出て、流行ることになった。その後の解剖学の変遷、機械哲学や生理学などさらに細分化していき、私はとても追いきれなかった。

 

最終章に日本の医学史、解剖学史も載っていて良かった。日本の解剖学は江戸時代から一気に進んだのは何となく知っていたが、死体解剖保存法が1949年され、人体解剖が初めて法的に位置付けられたとあって非常に驚いた。また、献体法が成立したのも1983年となっており、そんな短期間で現代はよくこんなに高水準の医療になったなあと驚いた。

 

キツい言い方をすれば、日本の解剖学は西洋医学を江戸時代や明治時代に移植した急ごしらえのものでしかない。まだ日本人による日本人の遺体の解剖、実際の献体の解剖の数が西洋ほど積み上がっていないことは認識しておくべき課題である。

 

余談だが、どこの大学も医学部がおおむね一番偏差値が高い理由が何となく見えたような気がした。人体を理解し解明していくには、普通とは別次元の発想や知識、応用力が要求されることがよくわかった。

 

國方栄二編訳『ヒポクラテス医学論集』(岩波文庫、2022年)

 

ヒポクラテス古代ギリシャのコス島出身の医者である。医学を魔術やいかさまの世界から救い出し、経験的な科学へと昇華させたことで「医学の父」として認められている。

 

國方栄二に関しては断片的な情報しか得られなかったが、京都大学の非常勤講師を務め、京都大学学術出版会の『西洋古典叢書』の編集者の一人でもあるという。

 

本書が誕生するきっかけについては、巻末の解説や國方のTwitterにて、関西医科大学・森進一教授(故人)のギリシャ語文献の読書会に15年ほど参加したことが発端となったと書いてあった。

 

本文と参考文献欄を見れば、本書が恐るべき仕事であることは一目瞭然であるし、解説の充実ぶりと洗練具合も非常に高い水準であることがわかるが、國方が京都大学の院生時代に藤沢令夫に師事していたということで全て納得した。

 

R・S・ブラック『プラトン入門』(岩波文庫、1992年)を出した内山勝利もそうだが、藤沢門下生はえげつないし、指導教官の藤沢はヤバすぎて言葉がない(語彙力)。

 

「一般に医術は患者を苦しみから解放し、病気の激しい勢いを和らげるとともに、病気に完全に支配された人に対しては、医術で可能なのはすべてだと了解して、手を出さないようにするものである。」(『技術について』)

 

ヒポクラテスは、医術は「技術」であり、健康を維持したり、取り戻すための特別な術として、絶えざる観察と研究が必要だと説く。引用箇所からわかるように、医術はかなり広い定義であり、健康を損なった人が健康を取り戻すために試みるすべてのこと、と言って良いだろう。

 

ただ、内科、整形外科、小児科、産婦人科など何でもやる感じであるが、基本的には投薬や食事療法が中心で手術は無さそうなので、現代の医学の花形とも言える外科は未発達であったようだ。

 

食生活や運動について、様々な病気や怪我について、気候や風土の影響、生殖についてなど、人体について網羅的に記されており、睡眠中の夢と人間の健康状態の関係にまで言及がある。

 

さすが医術をいんちきから科学へと昇華させただけあり、綿密な観察と研究の成果が非常に細かく記載されており、西洋の古代から中世にかけて長らく崇拝されたのもうなずける内容であった。

 

ただ、後世の人々に受容というより崇拝されてしまったがゆえにヒポクラテスの医学が聖域となってしまい、医学は彼が説いた観察や研究の上積みがなされず、長く停滞してしまったのは皮肉である。

 

ヒポクラテスの医学の根本的な思想として、人間の体の自然本性を「血液」「黄胆汁」「粘液」「黒胆汁」の4つに分類し、これらのバランスによって健康になったり苦痛を感じたりすると説いた点が一番の特徴であろう。

 

現代の医学から見れば、ヒポクラテスの医学について内容の妥当性、科学的な正確性は当然ながら相当低い水準にあり、本書から知識として得られるものはない。特に体内や自然環境のメカニズムはかなりの見当違いが多く、病気は瘴気のような「気」(その辺に漂っているようなもの)を人間が体内に取り込むことによって起きると考えているらしかった。その点では近代以降の自然科学は本当に凄いんだなと改めて感じた。

 

ただし、これが当時最高の科学者の態度・知識であり、当時の最先端である点はよくよく留意しなければならない。

 

よく読めばヒポクラテスは現代人よりも人間の体やそれを取り巻く環境への感覚やセンサーが非常に優れているようにも思われる箇所もたくさんあり、なによりこれだけの体感や観察結果を言葉に落としこんで、他人と共有できる形で残したのは本当に凄いことである。

 

さらに、ヒポクラテスは自身の研究成果の報告だけでなく、心得や教育方法など医師となる後進の人々の手引きやお手本になるような記述も多く盛り込んでおり、本書は教科書として非常に優れていると思った。また、医師の身分を国家で保証したり、国家的な医師教育・養成の重要性を説くなど大変先駆的でもあり、「医学の父」と呼ばれるにふさわしい人物であることが随所に伺えた。

 

「食べ物や飲み物は、質がよくても不味いものよりも、少しくらい質が悪くても美味しいもののほうを選ぶべきである」(『箴言』)

 

何気ない一文であるが、「美味しく食べる」重要性は現代の私たちもかみしめてよいだろう。

 

本を読んで感動することは少ないのだが、久しぶりに魂が震えている。「これぞ岩波だ!」という仕事である。ヒポクラテスにも、國方栄二の研究者としての力量にも、本書を出す眼力のある岩波にも、全方位に感動した。本来ならギリシャ語やラテン語、フランス語、英語などに通じていなければならないが、日本語で読める機会が用意されていることは本当に素晴らしい。

 

参考文献に載っていた坂井建雄『医学全史』(ちくま新書、2020年)は完全に見落としていたので、追加で購入。坂井建雄の他の著作もかなり面白そうなので随時買い足していきたい。

 

アール・ヌーヴォーのガラス | 九州国立博物館

九州国立博物館にて開催中の特別展『アール・ヌーヴォーのガラス–ガレとドームの自然賛歌』に行ってきた。

 

 

展示品は、長野県諏訪市にある北澤美術館の収蔵コレクションの一部である。

 

昨年集中的に読んでいた竹山道雄に触発されて、私も本を読むばかりではなく、良い物を直に見聞きすること、直にぶつかることにもしっかりと時間とお金を使っていきたいと思い直したので、最近は美術館や博物館に足を運ぶようにしている。

 

とはいえ芸術論や美術論、正しい鑑賞方法などについては全くわからないので、私が観て心に浮かんだ感想を書き記す。

 

最も印象に残ったのはエミール・ガレの闘争心である。心から流れ出ざるを得ない、表現せざるを得ない気持ちや精神が感じられた。

 

 

ガレの作品は人を選ぶと思う。

 

 

グロテスクである。自然の美しさや柔和さだけでなく、不気味さや気持ち悪さもすべてむき出しになっている。自然の暴力的な側面(私はこれこそ自然の本質ではないかと思っている)がいきいきと、まざまざと描かれていると思う。

 

 

ガレの作り出す植物や動物、海を前に私はただただ恐怖を感じるのみであった。飲み込まれてしまいそうな恐ろしさやほの暗さがあった。

 

ここで言う自然とは、のどかな、緑豊かな木々や川のせせらぎ、心地よい雨の降る音や波の音にイメージされる自然ではない。私は趣味で登山をするようになって初めて身をもって知ったのだが、自然とは本来人間の意思とは何にも関係のないところにあって、人知を越えた恐るべきものなのである。人間とは断絶とも言うべき距離があり、自然と人間は完全に主従関係にある。

 

蚊やノミや犬といった生き物は感染症を媒介するし、雨や雪も適度であれば風情あるものだが、台風や豪雨や地震として立ち表れてくる時もある。そうした時に思い出すのだが、人間は自然に包まれており、完全に自然に左右されるのである。

 

ガレの鋭い目はそうした自然の暴力的な側面もしっかりととらえていると私は思った。

惜しむらくはエミール・ガレが一代で終わってしまったことだろう。妻らが工房を引き継いだが、エミールのような作品を生み出すことはできず、第二次世界大戦前に事業を畳んでしまったそうだ。

 

今回展示されたガレの作品の中に『ひとよ茸ランプ』が来ていなくて大変残念だった。現在開催中の北澤美術館の特別展にて展示されているそうなので、機会があれば立ち寄ってみたいものだ。

 

今回の展示品の中では、ガレやドーム兄弟の作品ではないが、『草花文把手付小瓶』(19世紀、オーストリア東京国立博物館蔵)が印象に残った。素朴でかわいらしい。

 

 

展示のもう一方の目玉であるドーム社の作品は、非常に精巧でよく出来ているなとは思われたが、エミール・ガレインパクトある作品を見た後だとあまり印象に残るものはなかった。

 

デザイン的には非常に洗練されているが、正統派のおぼっちゃんという感じだった。万人受けしそうな落ち着いたものが多く、幅広い愛好者を獲得するだけの懐の広さは感じた。

 

 

ドーム社に関しては経営手腕に関心した。売り方が消費者心理をしっかりとわかっていて上手い。最後の方に展示されていた小さなかわいらしいミニチュア作品は確かに欲しくなるし、集めたくなる。

 

 

ガレとドームを簡単に対比するならば、非常に頭の切れが良く、ビジネスというゲームをしているのがドーム兄弟で、ガレはそれとは全く別のことに没頭しているように思った。

 

ガレはガラスを通じて世界の秘密を見ていたのではないかだろうか。ガレはこの世界の核や本質のようなもの、言い換えれば「そこに確かに存在している」自然や世界を「あるがままに」見ようとした人だから、普通の人間には感知できず、作品を見ると何となく不安に思ったり、不気味に感じたりしてしまうものが込められているのではないだろうか。

 

ドームは普通の人間が感知できる性質のものを作品で表現しようとしたから、見ていて抵抗なくすーっと受け入れられる。人間の手の温もりや手垢、匂いが付いており、人間というフィルターを通じて自然や世界に触れるという感じがする。

 

ガレの場合は自然や世界に直接飛び込む感じなので、そのままでは思わず目を背けたり、恐怖を抱いたりしてしまうような厳しい自然が掴み取られていて、人間の気配はほとんど感じられない。3.11の震災における津波の映像を見ているような、不安で言葉を失ってしまう自然の正体が表現されている。

 

あくまで人間業であるドーム兄弟と、人間の領域を踏み越えようとしたガレ。それぐらいガレとドームは違うと思う。優劣ではない。好みの問題である。

 

持続可能性、永続性という点ではシステム化や分業に成功したドームが優れている。商業的にはドームが正解で王道だが、生前はそれを一人でやっていたエミール・ガレの凄さが逆に際立つ。

 

ガレとドームの作品だけだと思っていたら、入場して一番初めに展示されていたのは紀元前から近代にかけて世界各地で制作されたガラス作品であった。特に古代から中世にかけての作品群はメインの展示に負けない素晴らしい逸品ばかりで、興味深く眺めていた。

 

 

私は昔からペルシャ絨毯みたいな幾何学的な模様やデザインに強く惹かれるのだが、今回展示されていたイスラーム世界で作られたガラスもやはり心惹かれた。

 

ガレ以前のガラス作品のデザインや技術には正直かなり驚かされたのだが、それというのも、「新しいものが良いもの」「古いものは遅れている」「劣っている」という固定観念が私の中にあるからだろう。普段読んでいる本などは「古いものこそ良いものだ!」くらい思っているのに、歪んだ鑑賞態度が浮き彫りになって、心から反省した。

 

ガラス作品に関しては、ステンドグラスを見れば容易に想像が付くが、光との相性が非常に良いことに気付かされた。展示品の土台や台座に映るリフレクションにも注意して眺めてみると、ガラス作品を存分に味わうことができるのだろう。

 

博物館のように、作品にライトが当てられた状態で鑑賞するのも良いが、その作品が作成された当時のように実生活でリビングやダイニングに置かれていて、太陽の光やろうそくの炎に照らされる中でどのように見えるのかもとても気になった。

 

次の特別展は『憧れの東洋陶磁–大阪市立東洋陶磁美術館の至宝』とのこと。こちらも楽しみである。

 

アルベール・カミュ著/宮崎嶺雄訳『ペスト』(新潮文庫、2004年)

初めて読む。
 
 

 
今さら感が物凄いが、新型コロナウイルスが2類から5類へ変わる、ある意味大きな節目を迎えているので、今回の大流行をおさらいしようと思って手に取った。
 
オランというアフリカの街(正確には北アフリカアルジェリア国内)で起きたペストの大流行を題材とした小説である。ペストという不条理、無慈悲な運命に対して、街の様々な人々が団結して立ち向かっていく様子が描かれている。
 
序盤に登場するポツンと落ちているネズミの死骸があまりに安易に人々の死を暗示させていたので、俗っぽく言うと死亡フラグがビンビンで少し笑ってしまったが、現代が体験したコロナ禍とオーバーラップするところが多々あり、色々と考えさせられた。
 
「世間」とか「市民」とか呼ばれるぼんやりした集団は一体何なのだろうか。名前がある実体としての個人とは全く別物であり、リアリティがなく認識が難しい。当局や医者らからの注意喚起の声はなかなか届かないし、死者や感染者数といった統計数字でしか存在が見えてこない。
 
また、「世間」や「市民」サイドから考えても、「政治家」や「医療機関」「官僚」などこれまたぼんやりした集団に色んな声を上げるのだが、これもまた届かないのである。認識できない不思議さ。自分の問題として、自分に関係のあることとしてとらえることができない不思議さ。
 
医師リウーが若い新聞記者ランベールから投げつけられた「あなたは抽象の世界で暮しているんです」という非難。患者を始めとした人間が統計数字、記号、ラベルに飲み込まれてしまう恐ろしさ。人間の欠陥としか言いようがない認識の不確かさの前に、私たちは連帯や団結というものをどうやって保っていけば良いのだろうか。
 
「母親と子供たち、夫婦、恋人同士やど、数日前に、ほんの一時的な別れをし合うつもりでいた人々、市の駅のホームで二言三言注意をかわしながら抱き合い、数日あるいは数週間後に再会できるものと確信し、人間的な愚かしい信頼感にひたりきって、この別離のため、ふだんの仕事から心をそらすことさえ、ほとんどなかった人々が、一挙にして救うすべもなく引き離され、相見ることも、また文通することもできなくなったのである。」(pp. 96-97)
 

 

パンデミックの一番の恐ろしさは「人災」ではないかと思われた。私がここで使っている「人災」とは「人にまつわる災い」である。一般的にイメージされるヒューマンエラーだけでなく、人々の間で起こる不和や猜疑心、流言蜚語、社会の分断といったことも広く含む。
 
ウイルスというのはきっかけに過ぎない。人間が存在するからこそ、ウイルスが人間に感染するからこそ、人間の問題として存在する。「ウイルス」と言うと医学的な問題だと思ってしまいがちだが、2020年以来の一連の出来事はウイルスがきっかけに人が起こした問題という風に私はとらえてみようと思っている。人に実害があるからこれだけ問題になっている。
 
個人的にかなり残酷だなと思ったのが、個々人が何に共感するか、普段は表に出てこない本性のようなものをさらけ出したことである。特にワクチンや治療薬に関する反応や、それによってもたらされた分断はとても酷かったように記憶している。人間はデータや証拠では動かない。2020年の10万円の給付ですら、申請率が100%に全然届かなかったのはかなり衝撃的で、私の心に深く残った。
 
活気を取り戻しつつある今年のGWの状況を見ていて思うのが、日本列島、あるいは世界は、人体と考えれば、人やモノの流れは血液のようなものだったのだなということだ。大学時代に経済学の勉強をして知識としては知っていたのだが、初めて経験的に知ることができた。それがパンデミックによる緊急事態宣言により人工的に、一時的に止められて仮死状態になったわけである。
 
こうなれば生きるのに必要な酸素や栄養分は各部分(都道府県や市区町村など)に届かないわけで、正常な働きができなくなって不調を来したり、壊死してしまったりするのは至極当然であろう。移動、流通、変化というものが社会には非常に重要な要素であることが腑に落ちたし、このように考えれば政府が旅行支援という移動、心臓マッサージのようなことに強いこだわりを見せるのも納得できる。
 
カミュはよくこんな題材を文学作品に仕上げたなあと本当に感心する。医者や市民、当局者など様々な立場の人々の内面の葛藤、どうしようもない現実、割りきれない思いがよく描かれていると思った。
 
やることなすこと全てが「悪」と非難される中で、どれかを選んで実行しなければならない。より少ない「悪」を選択して実行しなくてはならない辛さを垣間見た。
 
これが一番人間にとってつらいことではないだろうか。パンデミックが人々に強いた一番の害悪ではないかとさえ思う。ダメな選択肢の中から一番マシなものを選択する。これでは何をやっても罪悪感や無力感にさいなまれてしまう。国民も人間だが、医者や看護師、公務員、政治家も血の通った心のある人間ではなかったか。
 
コロナは5類になったから終わりではない。コロナが地球上から消滅したわけではない。コロナで亡くなった人々、治療に当たった人々、感染した人々、国民全てにコロナ禍は続いていく。全ての人々に色んな意味で傷を残していった。それを背負っていくしかない。凄まじい現実をここ2~3年で体験したが、それを背負っていくしかない。
 
私のように幸運にも何も起きずに生き残った人間は、不幸にも亡くなってしまった方々、感染し後遺症に苦しむ方々に想いを馳せながら、しかし次に繋いでいかなければならない。人間の営みとは関係なく、太陽はまた昇って時間は過ぎていってしまう。私は一小市民であるが、雑感を記しておくのは全く無意味ではないと思いたい。
 
かなり発想を飛ばしてしまったので、肝心のカミュ『ペスト』の書評に全然なっておらず、コロナ禍を振り返る一市民の感想になってしまったが、まあたまにはこういうのも良かろう。
 
コロナ禍とは一体何だったのか、他の人と議論してみたい気分。
 

『現代思想 2022年11月号 特集・ヤングケアラー』(青土社、2022年)

現代思想 2022年11月 Vol. 50-14 特集・ヤングケアラー』(青土社、2022年)

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さて、何から書いたら良いものやら。スーザン・フォワード『毒になる親』(毎日新聞出版)を読んでいる時もそうだったが、辛く悲しく退屈な記憶にダイレクトに分け行っていくことになるため、かなり精神的に消耗する。

まだ自分の中でも整理がついていないのだろう。いや、きっとつくことはないのだろう。過去を無くすことは不可能であるため、どう付き合っていくかというステージ。私を構成するかけがえのない要素として、私のアイデンティティとして前向きにとらえていくステージに来ているのだと思う。

「ヤングケアラー」という名前がついて、最近ようやく認知度が上がり、関心が向けられるようになってきたと思う。ただ、社会がこのように啓蒙されのっそりと動き始める間に、私は「ヤング」からすっかり外れる年齢になってしまい、ついぞ何の支援も受けられずにここまで来てしまった。この界隈にはもう存在しない、視界に入らないただの「ケアラー」になってしまった。

 

後は「大人だから頑張って」と言われる残酷な世界である。「ヤングケアラー」だった時も「家族のことは家族が」と言われて見放されていたが。名称とは観察者からすれば意味があることだと思うが、当事者からすれば直面する厳しい現実には何ら関係のない玩具である。

ヤングケアラーの権利を認めようとする動きは良いことだと思うのだが、「権利がある」と確認することがそのまま「支援を受ける」「解決に向かう」ということではない。この雑誌に載っている論文はヤングケアラーの研究や支援の最前線のものであると思われる(学会誌や紀要までは追えていないし、査読の有無による論文の質云々も私にはわからない)が、最前線にしてこの水準ならば、行政や教育機関の認識や具体的な施策はまだまだ低い水準であろう。ようやくスタート地点に立ったあたりで、先は本当に長いなと感じられた。

子どもが自分よりはるか歳上の面倒を物理的、精神的の両面から見るとは一体どういうことなのか。

私は「老い」の恐ろしさ、残酷さを身を持って知った。育児には育児ならではの大変さがあり、容易に比較できるとは思っていないが、決定的に違うと思われるのは、ケアにおいては「良くなる」ということがほとんどなく、基本的には下降線をたどり、せいぜいできるのは現状維持か低下の度合いを和らげることだけ、ということである。無力感や虚無感、徒労感、罪悪感、疚しさに長期間絶えず襲われ続ける。

 

制限を受け続けることで思考や行動パターンも大きく影響を受け、「自分の人生を生きる」意欲や力が失われる。バルザックの言う「諦めという日常的な自殺」が日々行われる。

ケアされる側は助けてもらえるが、ケアラーは一体誰が助けてくれるのか?

私は自分が引き受ける覚悟をした。袋小路。背水の陣。自分が破れれば全てが終わる。静かに闘い、静かに散っていこうと決めた。誰が悪いわけでもなく、本当に「どうしようもない」のが厳然たる現実なのである。

 

自分が決めてやっていることなのだから、他人から「かわいそう」とか思われたくない。でも「助けてほしい」「なぜ私だけ」「わかってほしい」。

家族とは呪縛である。愛とは呪いである。私は静かに穏やかに生きたい。ただそれだけを願っている。