考へるヒント

生活の中で得た着想や感想

アルベール・カミュ著/宮崎嶺雄訳『ペスト』(新潮文庫、2004年)

初めて読む。
 
 

 
今さら感が物凄いが、新型コロナウイルスが2類から5類へ変わる、ある意味大きな節目を迎えているので、今回の大流行をおさらいしようと思って手に取った。
 
オランというアフリカの街(正確には北アフリカアルジェリア国内)で起きたペストの大流行を題材とした小説である。ペストという不条理、無慈悲な運命に対して、街の様々な人々が団結して立ち向かっていく様子が描かれている。
 
序盤に登場するポツンと落ちているネズミの死骸があまりに安易に人々の死を暗示させていたので、俗っぽく言うと死亡フラグがビンビンで少し笑ってしまったが、現代が体験したコロナ禍とオーバーラップするところが多々あり、色々と考えさせられた。
 
「世間」とか「市民」とか呼ばれるぼんやりした集団は一体何なのだろうか。名前がある実体としての個人とは全く別物であり、リアリティがなく認識が難しい。当局や医者らからの注意喚起の声はなかなか届かないし、死者や感染者数といった統計数字でしか存在が見えてこない。
 
また、「世間」や「市民」サイドから考えても、「政治家」や「医療機関」「官僚」などこれまたぼんやりした集団に色んな声を上げるのだが、これもまた届かないのである。認識できない不思議さ。自分の問題として、自分に関係のあることとしてとらえることができない不思議さ。
 
医師リウーが若い新聞記者ランベールから投げつけられた「あなたは抽象の世界で暮しているんです」という非難。患者を始めとした人間が統計数字、記号、ラベルに飲み込まれてしまう恐ろしさ。人間の欠陥としか言いようがない認識の不確かさの前に、私たちは連帯や団結というものをどうやって保っていけば良いのだろうか。
 
「母親と子供たち、夫婦、恋人同士やど、数日前に、ほんの一時的な別れをし合うつもりでいた人々、市の駅のホームで二言三言注意をかわしながら抱き合い、数日あるいは数週間後に再会できるものと確信し、人間的な愚かしい信頼感にひたりきって、この別離のため、ふだんの仕事から心をそらすことさえ、ほとんどなかった人々が、一挙にして救うすべもなく引き離され、相見ることも、また文通することもできなくなったのである。」(pp. 96-97)
 

 

パンデミックの一番の恐ろしさは「人災」ではないかと思われた。私がここで使っている「人災」とは「人にまつわる災い」である。一般的にイメージされるヒューマンエラーだけでなく、人々の間で起こる不和や猜疑心、流言蜚語、社会の分断といったことも広く含む。
 
ウイルスというのはきっかけに過ぎない。人間が存在するからこそ、ウイルスが人間に感染するからこそ、人間の問題として存在する。「ウイルス」と言うと医学的な問題だと思ってしまいがちだが、2020年以来の一連の出来事はウイルスがきっかけに人が起こした問題という風に私はとらえてみようと思っている。人に実害があるからこれだけ問題になっている。
 
個人的にかなり残酷だなと思ったのが、個々人が何に共感するか、普段は表に出てこない本性のようなものをさらけ出したことである。特にワクチンや治療薬に関する反応や、それによってもたらされた分断はとても酷かったように記憶している。人間はデータや証拠では動かない。2020年の10万円の給付ですら、申請率が100%に全然届かなかったのはかなり衝撃的で、私の心に深く残った。
 
活気を取り戻しつつある今年のGWの状況を見ていて思うのが、日本列島、あるいは世界は、人体と考えれば、人やモノの流れは血液のようなものだったのだなということだ。大学時代に経済学の勉強をして知識としては知っていたのだが、初めて経験的に知ることができた。それがパンデミックによる緊急事態宣言により人工的に、一時的に止められて仮死状態になったわけである。
 
こうなれば生きるのに必要な酸素や栄養分は各部分(都道府県や市区町村など)に届かないわけで、正常な働きができなくなって不調を来したり、壊死してしまったりするのは至極当然であろう。移動、流通、変化というものが社会には非常に重要な要素であることが腑に落ちたし、このように考えれば政府が旅行支援という移動、心臓マッサージのようなことに強いこだわりを見せるのも納得できる。
 
カミュはよくこんな題材を文学作品に仕上げたなあと本当に感心する。医者や市民、当局者など様々な立場の人々の内面の葛藤、どうしようもない現実、割りきれない思いがよく描かれていると思った。
 
やることなすこと全てが「悪」と非難される中で、どれかを選んで実行しなければならない。より少ない「悪」を選択して実行しなくてはならない辛さを垣間見た。
 
これが一番人間にとってつらいことではないだろうか。パンデミックが人々に強いた一番の害悪ではないかとさえ思う。ダメな選択肢の中から一番マシなものを選択する。これでは何をやっても罪悪感や無力感にさいなまれてしまう。国民も人間だが、医者や看護師、公務員、政治家も血の通った心のある人間ではなかったか。
 
コロナは5類になったから終わりではない。コロナが地球上から消滅したわけではない。コロナで亡くなった人々、治療に当たった人々、感染した人々、国民全てにコロナ禍は続いていく。全ての人々に色んな意味で傷を残していった。それを背負っていくしかない。凄まじい現実をここ2~3年で体験したが、それを背負っていくしかない。
 
私のように幸運にも何も起きずに生き残った人間は、不幸にも亡くなってしまった方々、感染し後遺症に苦しむ方々に想いを馳せながら、しかし次に繋いでいかなければならない。人間の営みとは関係なく、太陽はまた昇って時間は過ぎていってしまう。私は一小市民であるが、雑感を記しておくのは全く無意味ではないと思いたい。
 
かなり発想を飛ばしてしまったので、肝心のカミュ『ペスト』の書評に全然なっておらず、コロナ禍を振り返る一市民の感想になってしまったが、まあたまにはこういうのも良かろう。
 
コロナ禍とは一体何だったのか、他の人と議論してみたい気分。